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枕上/鞍上/厨上/厠側

  妙案の生ずるところ・・・ 三つ目、四つ目は怪しいが・・・


   昨朝「考える人」のポーズで、思いつきました;-
  今、岡山市街地で「メッシュ」を見出そうとしている作業を、それが古代のものであれどうであれ、他の場所で試みたらどうなるか?!
  一つの試みは、奈良盆地でテストしました。  それほど質的に違う収穫はありませんでした。  近現代メッシュに当てはめたら? というのが昨朝の着想です。  近現代に創られたメッシュで可能な作業だとしても古代のメッシュに適応できるとは限らない。  一方、近現代に適用失敗したら・・・古代に適応できるはずが無い!!  相当厳しいチェックです。
  最初に想定したモデルは、「札幌」でした。  今朝になって、Web地図の中でで早速飛んでみたら、・・・ 札幌のメッシュは、イメージに反して東西南北の方位が随分傾いていました。  それなら、「旭川」は?  矢張りそれほど綺麗ではありません。  原理的には正方位(に近いもの)は必須ではありませんが、作業としては煩雑になります。  さて?!
  加えて、札幌にせよ旭川にせよ、条と丁の間に随分小路があるようで、かつ、道路幅も結構広くて、本来のメッシュを拾い上げるのが大変なように見受けられます。  さて、さて?


   それなら、岡山県南の「開拓地」で試してはいかが?  結論を述べると、いわゆる「藤田村」で試すことにしました。  0)方位は幾らか傾いているが、許容。  1)メッシュは明瞭!  2)用水と道(狭いものと広いもの)が交じり合っていて宜しい。  3)必要なら、現地調査が可能!!!   近々、経過を掲示します。
 

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晴読雨考

  誤字じゃありません。  このところ、春の陽気は定まりませんから、晴れた日は、条里の筋目を読みに行ったり、図書館で調べものしたりです。


  雨の日は、思索にふけります・・・などと格好いいこと書いておきましょう。   今日は、晴れ上がりではなかったが、暖かい陽気だったので、県立の図書館で調べものしていました。  予め、Webで拾い出しておいた資料の現物に当たります。  3種類佳きものに出遭いました。  


  一つは、他の文献で名前を見ていた、井上和夫氏です。  新しい力作を借り出しました。  古代の都市構造と条里構造を併せて数値的に検証されているところを学びたいと思います。  氏にとっても、『109mゲージ』 の問題は完全には解決されていないようで、筆者としては妙に(?)安心しています。  <安心は可笑しいかな?>  


  第二は、少し古い書籍ですが、古代中世の技術論(工学)の論考で、「条理論」を狙ったたところ、その収穫はさておき「古墳の数理」の論文に出遭いました。  古尺の議論がなされています。  私としては評価は未だですが、字面を読む限りは、・・・ 条里制からさほど遡らないと思われるのに、古墳時代の尺度は天平尺では議論できないようです。  条里の論文では、分担執筆者の議論では、「『顕在条里』の下から『埋没条里』が発掘される事例」を指摘されていること、つまり、「条理成立時期」について時間の幅を持たせ、「施行主体」にも多様説を提唱してあると読み取れます。  また「菱形の区画」の例が示してあったのが大収穫でした。  方形にならない理由について、詳しい議論は見当たりませんでした。
 


  第三は、地元の研究家・植松岩實氏の論集に接しました。  岡山の平野部での旧河道の研究とそれに裏打ちされた用水溝から見た条里論と理解しておきます。  氏は、地図を徹底的に読みこなすことと、現地調査に重点を置かれることにおいて、専門家ですから筆者の及ぶところではありませんが、「現場百遍」を目指すことにおいて学ぶべきところが多い方です。
  大規模開発のみならず、小規模の開発でも地形が安易に改造されること、関連して地名が改変されることへの警鐘を鳴らしておられますが同感です。

メッシュの方位

  メッシュの方位がどのように選ばれるのか?  南北以外に選ぶべき基準があるのか?  地勢の状況から南北以外を選ばざるを得ないとき何を拠り所にするのか?  などについて、以前にも少しだけ考察しました。

  学界では議論されているのでしょうか?  定説ではないが、この議論に関して、Webの中に、2つほど面白いことを見つけました。
  一つは「太陽の道」説です。  説の文字を「 」の中に入れなかったのは、筆者の価値判断で、今のままでは「説」未満で、「太陽の道」の概念がユニークだと言うことの印象が強いからです。  徒に面白がるだけではアンフェアなので、私なりに、この提案の要点を書いて見ます。(誤解があったらゴメンナサイ);-
  この議論の要点は2点セットのようです。  1)「北緯34度39分」は聖なるラインで、この上に「磐座(イワクラ)/岩倉」や古代神道の遺跡が存在する。<±20分ほどの幅を持つ?>  吉備のクニでは顕著だが、西日本では多くの里がある。  2)この線上では、夏至の日の出が真東から北30度に昇る。 <簡単な計算で出てくることだが、筆者は未検定。 実測もしていない。>
  この論議がメッシュの方位が+30度(反時計回り)の決定根拠として主張されています。  たとえば、吉備の中山周辺の例です。

  Webの中で見つけたもう一つの興味ある話題は、古代の人はエジプトから伝来した、「12の結び目を持つ縄の輪」を持っていたとする説です。  わが国に伝来して、「24の結び目」に改良されたとも。
  さて、整数論として面白いのは、この輪を(縄でできているところが大切)「3,4,5の長さを保ってピンと張ると直角三角形ができる」というところです。  オマケとしては、4,4,4で引っ張れば正三角形ですね。
  この話は、『「ピタゴラスの定理」を知っていたのか?』と書いてしまった筆者としては見逃せないのです。

  このようなことがありますから、岡山の南部地域で「メッシュ構造」を持つところを拾い出して傾斜角を測ってみました。  そのとき、「条里構造」かどうかの認定は問題ですが、A)明らかに新田開発である。 B)(一丁幅を持っていても)長方形などで議論が難しい。 C)10区画未満の狭い範囲である。 D)歴史的に推測されてもメッシュの乱れが大きすぎる。 などを除外しました。  隣接する地域で、一体と見るか別物と見るかなどの厳密な議論もできていません。  また、明瞭な条理遺構(◎)と教科書的でないもの(○)を一応区別しました。
  傾斜角をおおむね10度刻みで出現頻度をグラフのように表したのが下の表です。  数値は○を1点、◎を2点としてみました。  角度は、反時計回りを「+」としています。

  +30度  ◎◎◎◎○○   10点  平津、一宮、足守、川辺 
  +20    ○○○○     4
  +10    ○○○       3
    0    ◎◎◎◎◎○○  12  岡山市、城東(上道)・宍甘、湯迫、矢掛三谷、総社上原
  -10    ◎○        3   邑久(千町平)
  -20    ◎         2   西隆寺
  -30    ○         1
  -40    ○○        2

  数理科学的には、円グラフ(星形グラフ)で表現するのが良いのでしょうが、今は省略します。  また、『円環統計』の考え方を用いると、各方位に対する「選択の意志の強さ」を推定できますが、今はしません。  このようなこの結果から直ちに強い結論を述べる積りはありません。  地勢的な考慮を全く施していないからです。
  ただ言えることは、「正方位」は強く意識されていること、「真東から30度(程度)北」の例も多いということです。  近い将来の課題としては、「30度(程度)」の中味を精査する必要があります。  筆者としては、「ピタゴラスの三角形=36.9度」の仮説には魅力が(未練が)あるのです。

  なお、◎を付け地域名を上の表の後に付け加えておきました。

鞍上、枕上

  アートの行事で、県北津山へ行きました。  アートの方では、珍道中になりましたが、・・・それはさて措き。

  90分ほどの列車の中で、先達の参考文献を読みました。  想が幾つも湧き出して、頭の中を整理するのに困っています。  項目だけ書くならば;-
 6進法問題に解決の兆し?  高麗尺の解釈、 溝/道のマージン、 などなど。

  「教材」 としての議論の展開法についても展望。

  やはり、「『調書』を読んで、現場百遍、『調書』を再検討!」のサイクルが必要なのだと思います。  いずれまた。

細い道 2

  気になっていた畦道探訪です。  一昨日に導入部だけを書きましたが、そのときの時系列は措いて、昨日写真を撮ってきた道について詳しく書きます。

  津島地区の、市バスの妙善寺線終点は、東から来るとT字路のなって突き当たります。  ここから南へ進む道は、古い人たちは「騎兵隊道」と呼びます。  80年以上も昔の記憶なのでしょう。  この道は坪境の中間ぐらいに作られた道で、その東話題の南北道があります。  以前から気になっていた畦道です。
  「騎兵隊道」が東西の坪境Y=+3 に相当する線と交差する点・西南隅に、市の指定の保存木の「やまざくら」があります。

        0601TminamiB32.jpg

  この写真は、坪境線の上に立って東を望んでいます。  この東西線は、断続的に残っているばかりなので、これまで触れていません。  とりあえず、この小径を東に進むと思って下さい。  

  注目する道は、視野の中央に小さく写っている建物東側にあって、1/0000地形図では明示してないが、最近入手した1/2500市域図(1998年)では畦道として明記されています。  実際に歩いてみると、北はY=+の4ラインにT字接続し、南はY=+1のラインにやはりT字接続します。  全てが、用水を伴わない120~150cm幅で、「自転車がかろうじて通れる道」です!  つまり、長さは3丁分ですから、320m余りです。
 
        0601TminamiA32.jpg


  この写真は、建設中の個人住宅横で撮ったものですが、元の畦道を示す境界石が埋め込まれています。  ここに10分ほど滞在する間に、学生/買い物帰り・子供を連れた主婦 などの自転車が、上り下り3台ほど通り、重要な生活道であることが汲み取れました。
  このラインの南は塞がっていますが、幅30mほどの民地を突っ切ったと仮定すると、県営グラウンド北西隅に至ります。  つまり、これはY=-6のラインです。

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ラスカル君

Author:ラスカル君
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予測を裏切る可愛い顔ですみません。
大昔、某私大の学生さんが、更に
20年前を想像して書いてくれた、
『Y教授の若い頃』

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