スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

古代尺の検証

  このBLogの目的は、遡って「条理探求プロジェクト」のモーティヴフォースの一つは、「古代尺」を検証することにありました。

  フィールドワークが大分進展したので、数日前から数理解析を始めています。  結果は後に述べるとして、動機や手法について考えを纏めておきます。
  一番最初は、ごく単純に、「条里メッシュ」を丹念に読み取っていけば、その最大公約数として、「1尺」が決まると考えていました。

  ここで、話が大きく逸れますが、在職中のライフワークについて記しておきます。  所詮、一物理学徒の仕事ですから、自慢話でも何でもありません;-
  簡単に書くと、「3万光年離れた双子星が回転しながら放射する、微かな信号を測り、膨大なノイズの中から信号の法則性を示そうと試みた」と言えましょう。  光が(電気信号が)3万年かかってやってくるような全現象を、約2.4時間の周期に分解して、その内の特定の12分間に特異なものがあることを検証(しようと)します。
  言い換えると、コシヒカリ1俵の中から3~5粒のアケボノの米粒を見つけるような作業です。  10年続けると、俵は20個ほど溜まると思って下さい。  見つけ出したいのは、コシヒカリの中の石粒でも、インディカ米でもないのです。
  こんなベースに立てば怖いものは何もありません・・・と思ってスタートしました。

  幾らかの試算もして、数理解析技術の問題はどうにかなると思ったところに、2つの大きな問題が発生しました。  第一の問題は、物差しに関する学界の定説が、多分ないことです。  それはそれで良いのですけど・・・  つまり、「教科書」には、『条里のゲージは「約109m」で、これは、360尺に相当』と書いてあります。  これは、ハテナ? です。  計算が合う合わないの議論がないわけではありませんが、条里の施行年代に直結させることを急いで議論が破綻している例まであります。
  具体的に書きましょう。  正倉院の御物などを参考にするとき、天平・奈良の国家基準(公尺)を29.66±0.03cmと想定することは一応確定しているようです。  土木現場でこの物差しが使われたとすると、360尺は109mには2.4mほど足りないのです。  109mは約368尺に相当します。
  これを凌ぐには、二つの説明がなされるようです。 一つは、土木現場では「民尺」として、つい戦前まで公式尺であった「曲尺(かねじゃく)」が1300年前に普及していて、それに依ったと言う説。
 二つ目には、同じ正倉院に「天平尺」と理解されている(最近の学説では「南宋」製の追納品とする)尺に最長で30.7cmのものがあるので、過渡的に30.3cmがあっても問題ないとする立場。
  筆者は、どちらも苦しいと思います。  素朴に始めたことよ! と自分にあきれながら、この混迷を見ると、「尺の追求」も的外れではなかったと思います。

  次に大きな問題は、既にどこかで書きましたが、「道&用水」は設計数値に予め組み込まれているのか? 後から捻り出されるのか? という問題です。  この議論に付いての筆者の認識は、ごく最近に「予め組み込まれていたかも知れない」とする議論が芽生えたと考えます。  藤原京、平城京などの復元作業などの中で、都市工学の人の参加が進む中で、新しい視点が育っているように思います。
  只今では、そのところに筆者の重点が移っています。  これはもっと根源的な問題ですから、これを解決しなければ「古代尺の検討」には進めないからです。

  他方で、「農耕地/畦道」ではなく、「道路」の観点からの見直しも進められ、「条里余剰帯」の概念や実際の発掘事例が出始めています。  その「美味しいとこ取り」をすると、クニの間の往還道の例では『江戸時代の「街道」の幅は2間程度、古代の「大道」は15丈=45m』は極端だとしても、『発掘事例では6,9,12,18m(最大公約数10丈)が認められている』[いずれも木下良 2001年]と論じられています。

  県営グラウンド・メインスタジアムの「大溝遺構」の計測例では、
発掘幅最大12m、最痰0mで、同じ延長線上で発掘幅10mと記載されています。  いずれも、後世、「溝」が埋め戻され「道」に転用されたと理解されています。

  この課題は、結構困難な課題です。  積極的に発掘のための発掘をするのならともかく、地表遺構から推測する限り、コシヒカリの中でアケボノを探す作業に限りなく近いのです。
スポンサーサイト

格子点の読み取り 1

  紙のメモに暫く熱中していました。  もう一つのBLogを更に発展させて、「地域限定販(石井中学校校区)」の教材みたいなものを10ページものに仕立てました。

  Webに戻ってきましたが、格子点の読み取り=>数理処理に進む手始めとして、同じ石井中学校区をモデルにして、「坪境」ラインの交差点の読み取りを始めます。  紙地図(1/2500)の物差しによる実測と、Web地図の経緯度読み取りとのどちらかの選択がありますが、ここではWeb地図で作業を始めます。
  従来の試みを「第0次」と呼ぶならば、今回の読み取り「第1次のVer0」と位置づけましょう。

  石井中学校区をモデル地域に選んだ理由は、この地域では、「操車場」という超巨大なモンスターを除いて、特別に大きい開発をを経験していないので、格子の記憶がかなり正確に引き継がれていると思われるからです。  そのため、「石井中学区」と言っても、「大野小学区」は一応除外します。  また必要に応じて、域外の状況を参照することは言うまでもありません。
  余り広い範囲ではないので、「里境」だけでなく、採用できる「坪境」は出来る限り拾い読みます。

  経緯度読み取りをした後に、「相互の差を取って距離に換算するか」「基準点を別に設定して、そこからの距離に換算した後に相互の差を取るか」の選択があり得ますが、今回は、『基準点を設定』から入ります。
  基準点には、M31年陸軍地形図の「大野村」、「石井村」、「鹿田村」三者の接点を選びます。  これは東から来た「野田用水」が西島田町から野田(五)に至って幅を細める点とし、従来のXY座標表示では、X=-12,Y=-24に相当すると理解されます。
  あくまでも計算の都合から来る基準点ですから、原理的には任意に選べます。  後で修正するかも知れませんが、東西に関しては「道の中央」、南北に関しては「右岸(北岸)」の交差する点とします。  「北岸」を選んだ理由は、上流では川幅が広くかつ両岸に道路が敷設され、下流(西側)では北岸側だけに道路が付けられているからです。

  いま実際に読んでみると、
  北緯:34.657022 度    東経:133.906120 度
が得られました。

新しい出遭い

  今日は、定例の水曜日で、外出しました。  思い掛けない二つの出遭いがありました。

  一つは、細く長い道で、完全に「再発見」なのですが、存在をすっかり忘れてました。  別稿で書きます。

  もひとつは、またまた、オカルチックナ話です;-  「古尺」の問題はこのBLogの出発点です。  かねてから、古の尺度について「定説」とされるものの根拠が薄いと思っていました。  他のところにも書きましたが、「1尺(奈良期)=30.3cm(曲尺)」と明記されている書籍すらあります。  もう一捻りしたものでは、「『曲尺』は『官尺』に逆らって棟梁社会で1300年守られてきた」と言う説すらあります。  言うまでもなく、「109mゲージ」を説明するためです。

  筆者は、そのことに悩んでいたわけですが、今朝起き掛けに、「正倉院に訊け」と言う声を聴きました。  昼前に、Webで「正倉院 尺」で検索を掛けたところ、由水 常雄氏の『天皇のものさし』にヒットしました。  インターネット購入を試みようとしたとき、「仕事の関係先で買えば!」と言う囁きを聴きました。

  「関係先の生協」の店先で調べたところ、出版社を覚え損ねたので旨く見つかりません。  改めてWebで調べるべく踵を返そうとしたら、「ここだよ!」と呼び止められました。 「麗澤大学出版会」の版ですから一般には並んでいないものでしょう。  奥付けを見たら、2月6日に出版されたばかりの代物でした。  なんと言うことでしょう!?

  内容は、文章作法に問題があって、はっきり言えば半分のページ数で充分書けますが、内容は濃厚でした。  ミステリー仕立てで売ろうとするのがスケベですが、学術的にも内容があると思われます。

  「正倉院の撥鏤(ばちる)尺」(天平)は29.6~29.7cm と結論付けることができそうです。  一つスッキリして、また一つ混迷が深まります。

紙地図の計測誤差

  紙に印刷(複写)された地図から位置情報を読み取るときの誤差について考察します。

  すでに、Web地図の読み取り誤差については、二つの原稿を示しました。  最近の記述では、紙の上の地図の読み取りに言及していますから、そのときの誤差発生要因と誤差量について検討します。
  ここでは、およそ、4つの誤差が考えられます:-
 1)縮尺尺度の精度不足        2)印刷(複写)の歪み誤差
 3)紙の不均一伸び縮みに因る誤差  4)読み取りと換算時の誤差

  これらについて考察するとき、根本的には、資料が専門家集団(業者)の製作になる一次資料か、複写・転写に由来する二次/三次資料であるかで議論が分かれます。  近年は、電子複写装置によるコピーが容易になって、「コピー歪み」の混入が怖いのです。  単に寸法の再現ミスだけでなく、縦横の縮尺違い、直角が維持されないことをも含みます。
  さて、縮尺の精度不足に関しては、常識的に欄外などに示される縮尺(尺度目盛り)は長さが10cm程度かそれ以下です。 これをスチール製の物差しで読み取ったとして、スチール物差しの読み取り精度は0.2mmを覚悟しなければいけませんから、他の誤差が一切生じないとしても、2/1000程度かそれ以上の誤差が生じます。  縮尺尺度自体に均一性がなかったら、論外です。
  印刷や複写のときの寸法非再現性は、経験的には、注意深くなされても、1%程度は発生します。  縮尺目盛りと地図本体に共に、均一の割合で誤差が発生すれば、原理的には問題はないのですが、デザイン上、縮尺が別に植え込まれる例も少なくありません。  縦横の縮尺違いについても、ライン・スキャン型の複写機構では、悪くすると、縦横比が1%程度違うこともありえます。  縦横双方に尺度を用意した図はごく稀です。
  紙の伸縮の不均一性は、データを持ちませんが、1%では済まないかもしれません。
  読み取り誤差は、スチール物差しの目分量誤差ですから、最大0.2mmとして、読み取る対象の長さが2cmなら1%、1cmなら当然2%です。

  結局、総合すると、単体測定では、2~3%程度の誤差もありうるということです。  複数のデータだ得られて、平均処理をすることに意味があるとしても、相対0.5%以下に抑えるのは至難の業でしょう。  とりわけ、誤差要因を  A)システム的誤差  B)統計的誤差  に分けるとき、1)は取り敢えず前者、4)は後者、2)と3)とは分類しがたいところが一層困難をもたらします。

2進法?4進法?

  先に、6進法? について書きました。  この時代の数理的な思考構造を考えるとき、「都」の構造の考察は避けて通ることは出来ないでしょう。

  取り敢えず、往時の「都」の寸法や構造に言及した、手許の資料は2つだけあります。  ひとつは、先に記した、岡大中央図書館で偶然に発見した、神吉和夫氏の神戸大学博士論文です。  これは、寸法・構造の記述もさることながら、道と溝の関係に触れていることが特徴的です。
  もうひとつは、最近購入した、放送大学叢書#3035 白石太一郎氏の『考古学と歴史』です。  これには、引用ながら、藤原京[694年]/平城京[710年]の復元図(案)が縮尺寸付きで掲げてあります。  加えて、古代寺院の敷地図も示してあります。
  ここでは、これらの資料から、「都」の基本構造と特徴的な寸法を割り出す積りです。

  2進法? 4進法?
  藤原京/平城京 のいずれにおいても、街路網の最小構造は1X1のセルではなく、4X4のモジュールで出来ていると見るのが正解です。  例外や、意図的なバリエーションもありますが、「条大路」(東西線)と「坊大路」(南北線)の中央に「小路(中)」を持ち、「大路」と「小路(中)」の間にも「小路(小)」が引かれています。
  また、全体構造で見るときも、「坊・条」の区画を単位にして、藤原京では、10X10の構造であると考えられています。  ただ、この都では、「藤原宮」が中央に配置され「2坊・2条」の大きさを占めるので、また、もう一つの事情を考慮に入れるとして、「宮」の属する縦横のベルト地帯をエクストラ域と見れば、8X8の「大構造」が見えてきます。
  「もう一つの事情」と名付けたのは、「坊大路」の命名に見られます;-  つまり、およそ全ての「都」には左右あるいは東西の対称性を秘めていますから、中央に「朱雀大路」が置かれます。  また、この場合の「坊大路」の番号付けは、中央から外へ東一、東二/西一、西二と付けられています。  藤原京で朱雀大路の両側[そく]を除くと、一から五まで、正味スパンは4モジュール分です。

  このように見てゆくと、2進、4進構造が見えてくるのです。  「平城京」について調べる前に、筆者が、なぜこのことに拘るかを述べておきます。
  二つあります;-
ひとつは、条里のメッシュは6坪=1里 の構造をしています。  今のところ、「里」より大きい「大構造」は見えていませんが・・・  それだけでなく、長さの1坪=60間 というのも気に懸かっています。
  もう一つは、ある特定の「里」のメイン・ラインは「周辺線」なのか? 「中心線」なのか? という問題です。  これは、最初に「条里ライン」を施行するときの作業工程にも多いに関係します。
  その辺りの基本概念と「都」を創るときの基本概念が同じか? 異なるか? は大変重要なのです。

  元に戻して、「平城京」を見てみましょう。  この場合も、4セルX4セル構造のモジュールが見て取れます。  「平城」は「藤原」に較べると、メッシュに過不足があるようですが、基幹構造部分だけを述べると、南北9モジュールX東西8モジュールで、ここでも「藤原」と違います。  違いの元になる要素の最大のものは、「平城宮」は北端に置かれ、4進法原理が崩れたのかも知れません。  少し強引に言えば、「一条大路」北大路と南大路があって、そこにエキストラ性が秘められているようで、それをディスカウントすれば、南北は8スパンになります。
  平城以降の「都」で、南面/北面 の意識が強くなり、「南北」の対称性が崩れたことにも眼を向ける必要があるかもしれません。

  いずれにしても、「6進法」の影は見つからないのです。

  基本寸法の検討
  さて、図に示されている1kmの尺度で計ると、藤原京の1モジュールは約526mとなり、平城京からは533mの値が得られます。  若し、1尺=29,5cmを採用すると、各々は1780尺/1810尺になります。  一つのセルの大きさは、それぞれ、445尺=74間(?)/453尺=75間(?)が得られます。  (ここで、有効数字は3桁あるごとくに書いていますが、実質は2桁程度でしょう。)
  「藤原京」の基本寸は大尺=1.2小尺で計測すべしという議論があるのは承知していますが、ここでは深追いは止めておきます。

  なお、二つの都を南北に繋ぐ道 「下ツ道」、「中ツ道」との関係が示してあって、藤原京では東西の二坊大路に結ばれ、平城京では朱雀大路と東四坊大路の1セル西辺りに結ばれると理解されているようです。
  2本の道の間隔は、別の出典で(05/11/01 記事)、2.1kmと言われています。  この値を採用すると、藤原京のモジュール:525m、平城京のモジュール:560m[過大か?] が得られます。

  これらの数値は、原典で当たったものでなく、概算値です。  引用資料(二次資料)依存だからです。  参考のために示しています。
プロフィール

ラスカル君

Author:ラスカル君
ブログ『極道』へようこそ!
予測を裏切る可愛い顔ですみません。
大昔、某私大の学生さんが、更に
20年前を想像して書いてくれた、
『Y教授の若い頃』

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。