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県営グラウンド発掘中

  今、県営グラウンドの旧体育館跡地前(東)で小さい発掘調査が行われています。(県所管)    注目しています。


   概算で、南北25m、東西20m程度のトレンチというには大きめで、本格発掘には小さめです。  南北坪線が掛かる可能性はありませんが、東西坪線(Y=-3ライン)が、発掘穴の北端部分に掛かる可能性がかなり高いので注目しています。  25m幅で掘ると、存在するものならば、確率25%程度で引っ掛かるのですけど。   誰でも見学できる状態で行われていますから、要チェックです。


  数回、通って見学しましたが、特別なものは出なかったようで、3/17に撤収が始まっていました。 [06/03/18追記]

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発掘結果 2

  旭川に「岡北大橋」を架橋するために、「万成国富線」が整備され、そのときに、「北方藪ノ内遺跡」が地表に出ました。

  県教委の「津島遺跡(2004)」に、そのとき発掘された「東西溝(長さ約60m)」の写真が掲載され「条里溝」と判断された旨が記してあります。  原・調査報告書の眼を通さないで書くのは、気が早すぎますが、写真と(筆者が熟知している)現地の風景とを併せて考察すると、溝の南北位置は、緯度で、34.681041~.681102 程度の値であると読み取れます。 (発掘東端の東経は 133.929505 付近)
  ちなみに、このX=0 ラインを想定させる地表遺構の東端(大和町)は、北緯に関しては 34.681164 と読み取られ、岡山放送南門前が .681129、53号線に突き当たる点で .681102、西へ進んで運動公園西端では .680846 を示します。
  写真の視線の先には、「大和町ポイント」が明瞭に写っています。  幅は目測で5~7m程度と読めますが、後の報告書調査では、「幅~10m、深さ1.5m」と記載されています。  「大溝」と言うに相応しいサイズです。

  なお、「武道館の市女笠頂点」は、34.680855 を示します。 [いずれも、06・01・14 再読み取り]

==
  なお、「M31年地形図」では、「中井」の集落は記載されていますが、発掘されたものに相当する溝(用水)や道は記載されていません。
  国土地理院提供の閲覧サービスに『国土変遷アーカイヴ』というのがあって、結構古い空中写真が提供されています。その中に、1947年に進駐軍(連合国軍)が写した写真があります。 これh、事実上、利用できる最古の空中写真(航空写真)です。 それによると、上記の道は、岡山放送方面から東進するとき、今の県21号=岡山美作線を超えて、更に100mほど進み、西川に突き当たる前に北へ折れて、中井(北方・中井町)の集落に入ってゆきます。

発掘結果 1

  役所の用語では、『発掘成果』ですが、ここては古人[いにしえびと]への挽歌として、『結果』の表現を使います。

  05年(H17年)国民体育大会に向けて、運動公園の中の県営体育館が敷地の東南隅に移築されました[桃太郎アリーナ]。  それに先だつ埋蔵文化財調査によって、トレンチT47から「条理の溝」と判断できる南北溝が認められました。
  筆者が報告書の図面を計測して、経度換算すると、133.9198874~.919885程度の値が得られました。  「岡大入り口」の想定ポイントが.919810[今回計測]/絵図町の想定ポイントが.919992[今回]ですから、10m程度の範囲に入りそうです。

  なお、このトレンチの位置は、南北に関しては、「スタディアムの大溝」から370m弱、「観音寺川用水 : Y=-4ライン」の北65~70mにあります。

発掘結果 0

  埋蔵文化財調査、早い話が、発掘成果についても順次書いてゆきます。

  発掘の報告書は実に詳細に書かれていますが、一般的には、その位置を緯度経度に直すのは困難です。  ここでは、中でも、判り易い例を示します。
  「津島遺跡を探る2」(岡山県教育委員会 2001年)の裏表紙にいわゆる「桃太郎スタディアム」の平面図があり、同書のp27に「大溝」の図面があります。  前者のコピーを示します。

  MomoStadium40.jpg


  ここで、赤字のAで示したのは、Y=0 ラインで、「岡山放送KK」の南門前を横切る里線と考えられます。  Bで示したのは、この図では西方面が判り難いが、Y=+1 の坪境線と思われるものです。
  青字のC(Canal)が、発掘された「大溝」の南端を示しています。  この北側に、南北幅10m程度で横たわっています。  発掘記録では、「最大幅12m」。
  もう少し直感的な表現をすると、青字の矢印の先に、平面図では「欠け残った櫛の歯」のような突起に描かれているのが試掘ピットです。  その下端(南端)が溝の南縁で、そのピット2幅分ほど北に北縁があると理解してよろしい。
  1)(岸壁が崩れたと理解しても)予想以上に幅が広い。
  2)矢印Aの「道&南側の用水(併せて 目測5~6m)」と比較して、2倍程度の幅を持っている。
  3)「大溝中央線」と地表の「用水の南縁」が一致する配置になっている。
  4)「1坪」北の小径の関係を図から読み取ると、「溝中央」から102~105m北に位置する。
  5)矢印Aと矢印Bの間の距離をWeb地図で読み取ると、95m(最大98m)の値が得られる。

などが読み取れます。  これらの結果からでは、基準ラインを「大溝」中央に考えるか/北縁か/南縁か の詳細な検討は先に延ばします。 しかし、単体ごとの読み取り精度を考慮したとき、相互の矛盾は誤差の範囲に収まりそうです。
  なお、上記の 「 5)」は109mゲージを採用するときは厳しいが、Y=+1ラインは、この近傍では5m程度蛇行していることを考えれば、許容の範囲とできるでしょう。

  この「大溝」の約1km東方に「藪ノ内の大溝」が発掘されているので、その資料を解読中です。

==
  今は、南北線を論じていませんが、上に掲げた図で、「岡大南北道路」の南端が表示されていることは、オマケの情報です。

==
  日を改めて、[06年1月14日]書き継いでおきます。  「桃太郎スタディアム(予定地)」の下から掘り出された「大溝」は、実は予測されていました。  同じ、岡山県の報告書シリーズに依ると、その西方およそ50m/200mのところに、試掘トレンチT11[1998年]/T13[1998年]があって、その両方で、狭い幅の東西溝が発掘されています。  いずれも当時、「条里溝」と理解されていました。  3ポイントは、充分な精度で、東西方位の上にあると報告されています。(筆者は未だ報告図面を計測してはいません=>「発掘結果3」参照)
  県の報告書に依ると、これらの3ポイントを結ぶラインは「武道館」の市女笠ドームの先端の僅か[描線幅程度の差異で]南を通ると報告されています。  西に進むと、地表の遺構「通用路&用水」に繋がります。

掘り出されてしまった溝 2

  手品の種明かしを先にするようで、いささか気が進まないのですが、今日は休日にも拘らず、桃太郎スタジアムの下で資料調べをしました。  その結果、「津島郷」と「伊福郷」とを南北に隔てると考えられる「郷境」(場合によっては「里境」より半ランク上か?)、つまり、今想定しているX=0の東西線の発掘成果について、4ポイントの詳しい情報が得られました。

  経緯度の諸元は、あえて後に稿を改めて書きますが、3つのポイントは運動公園内にあって、西から旧・軟式球場のトレンチT13、旧・練習トラックのトレンチT11、それと新・桃太郎スタジアムメインスタンド下T10です。  第4のポイントは、「万成・国富線」設置に関して調査された「北方藪ノ内遺跡」です。  これらはかなりの精度で、一直線上に乗ります。(東西方位も正確です)
  T10 の溝も、藪ノ内の溝も、「大溝」 と呼ぶに相応しい幅を持っているようで、幾らかの崩壊を含むにしても、最大で12m(!)に達する模様です。  これだけ大きくなると、「道と溝」 は 「60間あるいは360間のゲージ」 に内包されるのか?、外付けされたのか? の議論が必要になりそうです。  <近現代になって改修が繰り返されたであろう「座主川」の例でも、幅は、目測で4~5m程度です。>

  発掘時期の考察では、この大溝も9世紀ごろまでに埋められたようで(部分的に?)、その後は道としての機能したと理解されているようです。
  なお、運動公園(旧・錬兵場)に覆われることなく、現存すると推定される道(地表遺構)は用水を含めて、東側が5m程度、西側が3m強と概算されます。
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ラスカル君

Author:ラスカル君
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大昔、某私大の学生さんが、更に
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