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眠っていたわけぢゃありませんけど

  相変わらず、2週間に3回ぐらいの割合で、『取材旅行』 に出ています。 寄与している、『教材収集ボランティアの』 と言っておきますけど、作業のコンテンツが5000を超えました。 厳密に数えれば、1万ピースを超えているかも知れません。
  6000~7000件は時間の問題ですが、コンテンツ相互の系統化と質的整備に力を注ぐ時期に来ているといえましょう。 最近の重点項目は、「流通・交流の道」 で、その中でも明治初期の道路整備の歴史追究に力を注いできた所です。
  明治初期と簡単に言いますが、100余年というのは、微妙な古さです。 つまり、自分の記憶の範囲でないのは致し方ないとしても、「祖父/曽祖父の時代」 になるわけで、当節、口つたえの伝承は充分でありません。 他方で、私達が注目している実物資料/試料としては、『文化財』 の対象になり難いのです。
  具体的に書けば、2~3項目以前に書いた、明治の道標/一里塚代替の里程標柱は、多くの場合保護の対象ではなく、厄介者扱いです。 類縁の、道路元標(市町村ごとに置かれた、里程基準標石)に関して言えば、岡山県下全体で、現在十指に余る程度しか確認できていません。 恐らくそれが設置された時期には、市町村の数は450程度あったと推察されます。 何か大きな意図で、破砕あるいは埋設されたとしか思えない残存率です。

        DSC04073_300.jpg

  上に掲げた画像は、「六里」 だけが確認されていたシリーズに関して、筆者達のグループが 『再発見』 した例です。 8月23日と その前に書いた話題の兄弟分を探索し、遭遇できました。

  少し話を戻して、里程標柱に関して言えば、「岡山元標から六里」 という標柱が一本あったとして、それだけでは価値は高くありません。 複数のものが(仮に途中欠如していても)線を作ったとき、初めて、『道』 が見えてくるわけで、その道の盛衰こそが当面知りたいことなのです。 物言わぬ歴史の証人に遭えたと言えるわけです。

  ってな如く、当初このBLOGを創ったときの 「極道・道を極める」 が今頃になって明示的になってきているのです。  眠ってないでしょう!?
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あ” ご無沙汰メッセージぢゃ!

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大昔、某私大の学生さんが、更に
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