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絵馬

  神社で絵馬を探すのも興味深いものです。 一番のターゲットは職業柄もあって、算額、つまり、和算の設問・解答を板絵にしたものにありますが、大都市から離れていると、「文化・嗜好」 の伝搬を示すものに出遭うと嬉しくなります。

  以前の例では、大坂相撲の番付表で、米子出身の力士が、1~2年だけ備前藩に抱えられ、鳥取に召し戻された例に遭いました。 今日はそのことはさておいて、歌舞伎の話。

  正直言って、私には歌舞伎を語る素養はありません。 わが父は生きてあれば、つい先日、110歳になる勘定の人ですが、「三高・京帝大」生 として青春を過ごした世代ですから、話としてはよく聴きました。

  前置きはそれぐらいにして、総社市の北東部に 「阿曽(あぞ)」 という鋳物師の郷があります。 鋳鉄だけでなく、銅・梵鐘などを造った時代もありまた。 古く辿れば、ヤマタノオロチなり、桃太郎のオニの伝承に繋がる技術集団の村だったのでしょう。 その鎮守・阿宗神社で見つけた、役者絵です;-

 取材画像 156_Cut484

  明治六年酉と読めます。 それほどの知識がなくても、画題は助六・揚巻だと想像できます。 刀と桜が揃えば、「助六ゆかりの江戸桜」 ですね。 そうです、「助六すし」 の助六です。
  書斎に戻って、気になって、「明治6年の当時の『助六』」 を調べてみました。 すると、これからが芝居のウンチク話(の受け売り)。

  明治六年には(正確には翌年かもしれないが)、九代目團十郎が襲名された年で九代目團十郎襲名を約束された河原崎三升により、成田屋の 十八番の演目として 『助六所縁(ゆかりの)八重桜』 が打たれたと言います。 ご一新の息吹を感じながら 「江戸桜」 を 「八重桜」 に書き換えたのも時代の反映だと言われます。
  最先端のファッションがその年のうちに社頭に掲げられたのでしょうか? 文化・芸能の伝播の速さを測る上で、興味深いものがあります。
 
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