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行動心理学 ?

  このところ、「哲学的」というほどには深くないが、心理学的な思索に更ける時間が増えています。  街中に出掛けると、古代びとの目線で風景を眺める日が多いのです。

  『条里メッシュ』の設計・実施者に、それほど詳しいマニュアルがあったとは思われませんから、「現場」 で判断しなければいけないことが多かったと思います。  列挙してみます。
  1)方位の設定       2)基準線の決定     3)基準線の調整・・・
などなどです。
  筆者としても、多くの設計が完全な更地で行われたのでないことを忘れているわけではありません。  それまで数百年か、それ以上の耕作歴のある上に描かれ、既に「持ち主」があったに違いないので、その力を無視して実施されたとは考えません。  様々の 「力関係」 をねじ伏せることは、中央にも、現場にもなかったと思われます。  また、学説の中に、「メッシュの発生」 は各地で(有力者に依って)自力でに行われ、「大化の改新」などはそれらの調和を図ったという考え方まであることは知っています。

  方位のことでは幾らか書いたし、乱暴な『仮説』モ掲げてしまったので、措くとして、「基準線」 は解決を要する問題です。  つまり、実施者が地方勢力であれ、中央権力であれ、平地の上に一本の線を引くには、強い意志が要るからです。  既に耕作実績があれば抵抗を伴うし、実績がなければ英断を要するのです。  自・他双方を説得できる強い根拠を要する作業です。

  具体例で書きましょう、今語っている「津島地域の南北線」でいえば、先達・石田寛氏の文章に依ると、「『半田山の中央部の窪み』と北極星を結んだ」 という、提示がされています。  実験屋の筆者の感覚としても、『どこかの山頂』 よりも、『窪み』を選ぶことの方が実質精度において真実味を感じさせます。
  しかし、この仮説には幾つかの困難があります。  小さい峠点は、地形図上では、東経113.92012/北緯34.69572 と読み取れ、運動公園辺りでは、「基準線候補」 の約32m東になります。  実際に歩いて平地から見上げてみると、40mほど東に位置しそうにさえ見えます。  念のために 「約100m東!」 に進んで見上げましたが、問題になりませんでした。

  日を改めて、X=-6 の候補ラインの上に立って、半田山に拠り所を探しました。  手掛かりはありましたが、「窪み」は余りにも小さくて、説得力はありませんでした。

  半田山(針田山)には、更に2つの気に掛かるポイントがあります。  一つは、平安時代に「山陽道」が半田山を越えたと伝えられる「峠」です。  X=-10~11 辺り(津島小学校裏手)に存在しますが、平地から南北透視したとき「峠」と認識されないので選ぶことはできません。  今ひとつは、式内の村社「尾治針生若比(オジハリナマワカヒメ)社」です。  これは「針田山」の守護神で、秦氏を名乗る集団の氏神だと考えられていますから、興味深いのですが、今は山腹にあって平地から直視できないのが残念です。 位置は、ズバリ X=-11 ライン上。  <岡山市史などによると、この社は「尾張神社」(伊福郷にある)と並べて、上の尾張神社/下の尾張神社と呼ばれる時期もあった由です。  因みに、下の尾張神社は、(X=-9,Y=-6)のポイントに隣接しています。>

  現在のところよい思いつきはありません。  かくして、古代びとの目線に立ちながら、悩む日々が続きそうです。
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