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狭い狭い道

  ODMの仕事始めの帰りに、「伊福郷」 のど真ん中にある、「気になる地域」 などなどを調べてきました。

  「ノートルダム女子大」 敷地の北西の「観音寺川用水」を越えた辺りの150m角ほどの町並みは、周囲に較べて、複雑怪奇です。  地域史を調べる必要がありますが、筆者は、これには3つほどの条件を想定しています(仮説)。
  1)条里制以前から、「伊福郷」 の中心集落であった。
  2)中世に河川(原・観音寺川)の氾濫があった。
  3)江戸期に特別の役割を与えられた?
しかも、これらは、いずれかで一つではなく複合的に働いたと仮定しておきます。

  ともあれ、現地を歩いてみて、
 A)この地域の東端の線が、漸く、X=-4の坪境の姿を止めていること。
 B)この地域の中央やや西を南北に貫く道(長さ約80m)が、10~15m東にずれているが、X=-5 の坪境の代償物であること。
だと理解できました。

  先達・永山卯三郎氏の「条里遺阯」図では、この地域に『本村上』、『同 中』、『同 下』、『村後』の坪名が収録されています。  また、「明治31年(1898年)帝國陸軍地図」 に依ると、この位置には現在の迷路のような街路を思わせるような形の集落が記録されています。
  別の日に、その集落の中を自転車で走ってみた。  またまた、細い路地を見つけて80mほど進んだら、行き止まりで、「自転車が方向転換できない幅で」、難渋した。  それはさておき、この集落は、昔ながらの門構えと中二階を持つ農家作り10%、門構えを留める改装住宅10%程度で、どこかに昔日の面影を残すものを併せると、およそ半数が100年前の姿を残していた。  県都の玄関駅から直線1kmの中に存在する、「明治村」!

  更に、「独断と偏見」との誹りを承知で書くならば、この地域の南西に、2本の道(あるいは用水跡)を見つけました。  場所を別の方法で表現すると、「清心大学」と「県立工業高校」に挟まれた正方形状の地域が 「観音寺用水」 で切り取られた三角地域内(北西部)です。
  結論を先に書くならば、それらは[a]X=-6と、[b]X=-7の里/坪境の一部と理解されます。  道[a]は、北端で漸く幅が120cm程で、南端の部分は、自転車を押して通ると、ハンドルがツッカエます。  ほぼ、直線の南北道(長さ70m)で、小さいクランク曲がりを介して、更に南に80m辿れます(これは幅2m弱)。  道[b]は、小さいクランク曲がりを含めて、南北80m程度ですが、溝を埋めたもの(あるいは暗渠)のように思われます。  かなりの部分が、周囲の平均レベルより、20cmほど低いのです。

  「両手を広げてツッカエル幅より狭くて、歴史的な生命を保っている道は坪線の候補である」 というあたらしい 『法則(仮説)』 を提示しておきましょう。
        
    060106narrow32.jpg

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