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長い道

  ODM(岡山市デジタルミュージアム*)のボランチに行って、与えられた作業の傍ら、作業場の5階の床一面に大きな航空写真が展開されているので、「道」 の調べをすることがあります。
  *)筆者の個人的な習慣は、「ディジタル」でないと、スワリが悪いが、固有名詞だから「デジタル」と表記しておきます。

  今日、そこで、気が付いたことを記します;-
今日の話題は、「長い道」(長いライン)です。  現場でも、リアルな地図でも、Web地図であっても、「長いライン」を探る習性が付いてしまっています。  確かに、長い一本の(一本続きの)道は魅力的でしょう。  しかし、それ以上に、「人工構造物」や「地形要素」に遮られてもシブトク連なっているラインを見つけると心躍るものです。  そのようなラインを無理矢理に繋ぐのはある危険を伴いますが、総合的に見て、合理性があれば、かえって説得力が増すからです。

  そのような例を4つ見つけました。  正確に言えば、一本は、「再発見」以外の何物でもないけれど。
再発見の方から書くと、クリスマスの日に「小さい小さい道」と書いた中に、X=-12 の里境であろうと書いた道があります。  そこでは、「南は『京山山塊』に阻まれて」 と、南の方の言及を避けました。  今日、ODMの航空写真地図を見て「京山山頂」に眼が行ったとき、そのラインがはっきりと見えたのです。
  「明誠学院(旧・真備女子)」の入り口付近の、虫垂(盲腸)のような短い道の先に「京山山頂」があるとすると、ラインは、ずっと南まで走って、少し乱暴ですが、相模川サインに繋がらないこともありません。  全延長は、4.7km程度に及びます。  ただし、ここまで伸ばすと方格格子が完全ではありませんから、余り拘らないのがよいでしょう。

  話が少し飛びます、X=-12が見えたついでに、西そのに X=-17のラインが読めます。  これは既に、操車場を横切る話として書いていますが、北にも300mほど(強引には500m)伸ばせるかもしれません。  南は「下中野」辺りまで伸びるように見えます。  途中に「操車場」があり、「大元中央公園」がありますが、この場合は、それらがあることは却って、妨げにはなりません。

  次に、「京山山頂」に立ったとして、東に眼を転じます。  山頂から東に向かうラインが読み取れます。  切れ切れで、全長も短いが、一旦読めると重要なラインです。  「野球場」 の東の 「観音寺川用水の東西流路」 の部分やJR山陽本線「平畦踏切」 についてはどこかに書きました。  これは、Y=-4 のラインと言えます。  ラインの部分的な蛇行もありますが、東は広瀬町に至ります。
  ここまでくると、筆者としては、『京山山頂が全ての座標原点?』の仮説を掲げたい誘惑に駆られていますが、それには周辺の客観的状況を積み重ねる必要がありましょう。

  京山山麓には、伊島小学校があります。  その敷地北辺は、Y=-4 のラインに接しています。  厳密に言えば、「幼稚園」が合併立地しているので、北辺は、今では曖昧です。 (創立時は、幼稚園がなく、北辺全面が接していたと理解しておきます。 また、南辺はY=-5、東辺はX=-7のラインに接していると読み取れます。  この南北道は、帝国陸軍地形図にも重要な路として明確に記憶されています。  X=-9 のラインは京山山麓の影響を受けていますが、敷地の西辺はこのラインから20間ほど東に引き下がったところに引かれています。  敷地は、「1坪」と2/3程度になります。   
  これらのことを見ると、『古い小学校敷地は坪境に囲まれて創られた』という仮説が出てきます。  この仮説は興味深いので、これからリアル地図で調べて別稿で書きましょう。

  この稿の最後の話題として、Y=+4のラインについて記します。  「京山山頂」から北進するラインが、北の山の影響で消えるときに東西ラインに T 字状に接続する(@明誠学院入り口)・・・ この東西ラインが Y=+4 と認識されています。  これにも、断続がありますが、およそ2キロ半の長さを持ちます。  一番大きい断続は、現・岡山大学(農学部)の敷地によるものです。  農学部農場/旧・岡山気象台用地には遮られるのは免れています(旧・気象台が南面していた道路はこのラインの20mほど北に「新設」されたと言えるでしょう)。  旧・教養学部敷地の外側(南)では、旧・北富地区の集落に飲み込まれますが(2丁=200m ほど水路だけが残っている)、法界院駅の東西で、一本の線を描いています。 東端は旭川河畔に至ります。  ここには、式内ではないかも知れないが、重要な地域神「御崎神社(オンザキサマ)」があります。  
  このラインの西端にも興味は尽きません。  西端は、「岡山商科大学」の入り口で笹が瀬川河畔に至ります。  平安時代の渡川場はここから約1km北にあったと信じられていますが、かなり早い時期に、この西端に架橋がなされたと推測されます。  今は、西の集落の名前を冠した「首部(コウベ)橋」が存在します。
  この西端部分もまた、「道フェチ」が嘆声を上げる状態です。  「路の遺跡状態」 とだけ書いて、それ以上文字にするのを止めておきましょう。  現地をご覧下さい。
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