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こどもの森

  岡山大学(津島)の旧・教養部の南には、「学南町2丁目/3丁目」が展開されています。  もともとの地域名(大字名)は『津島・北富(キタドミ)』です。

  この地域は、先に『伊福町』について述べたと同様に、町筋が混乱しています。  ほぼ45度の方位で、3本の細い用水が流れていることから推測できるように、弥生期以来川筋であったと想像されます。  実際、運動公園内にも、中世のものも含めて、方位45度程度の「溝」が掘り出されています。
  この混乱の中から、メッシュを読み出します。  一つの注目点は、「こどもの森」と「岡山放送KK」との敷地です。  筆者の記憶に間違いがなければ、これらは、1968年まで「岡山県農事試験所(農業試験場)」の敷地でした。 (小学生であった筆者たちのトンボ取りの聖地でした。)
        
20060114234928.jpg


  写真説明 : 「岡山放送」南門前(X=0)を東進したところの津山線踏切『農事試験所』[05年夏撮影]

  特に、「こどもの森」は複雑な境界を示していますが、両者を包含する矩形を作ってみると、東西2丁X南北3丁の、区切りのよい図形が出現します。  この矩形は坪境で囲まれていると言えそうです。  北辺のラインは、東に伸ばすのは困難だが、西に伸ばすと大きく蛇行するものの、岡大農学部の南辺に繋がり、断続的に岡山商大の北辺に至ります。  これは、Y=+3のラインなのでしょう。
  矩形の南辺が X=0 に相当することは何度も記しましたが、矩形の中に認められる2本の東西線がY=+1 と +2であると認定しても無理はないでしょう。  ただし、只今現在は、岡山放送北辺に接する形で、こどもの森との間を「万成・国富線」が創られています。
  Y=+1 のラインは、東へは蛇行しながら約500m進めます。  西へは、既にどこかで述べましたが、京山中と岡山商大の間・「座主川」に繋がります。
  Y=+2 のラインは、東側は(現地調査が要りますが)180mほどは水路の遺構がありそうです。  この線の西側は断続的ですが、西端では、商大敷地を二分する形で東西道が残されているようです。  これも面白い風景を見せて呉れそうです。  行ってみると、それほど特異な風景でなく、公道(水路付き)を挟んで、ほぼ対等な二つの敷地があるだけでした。
  なお、二つの敷地の西辺のラインは、いずれも、狭い水路と踏み分け道(畦道の貌を残す)が残されていました。 [06/01/15]


  これら、Y=1,2,3の三本の東西ラインは、西へは、笹が瀬川を越えて伸びているように見受けられますが、この「楢津」地区は極く近年に農地整理が行われているので、あまり深入りしないほうが良いかもしれません。  実際、計測すると、100~105mゲージの綺麗な方形を形作っています。

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