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M31地形図を読む

  金曜日に入手した、M31年の旧・帝國陸軍地形図「村野御」「山岡」を読み解きましょう。 「」 内は軽いジョークで、『縦書き・横表示』です。

  1/2万 の縮尺ですが、現在の1/2万5千 から較べると、実に素朴な、情報量の少ないものです。  村や町が未発達だった所為だけでなく、山/川/道 の「地形」表示に専心しているのが判ります。  例えば、小学校は出来たばかりでしょうが、旧・弘西小学校の位置に記号があるだけで、他のものは記載されていないようです。  医学校(第三高等学校付属)と、おそらく、今の弓之町の師範学校と想像されるものは示されています。  社寺については、式内(延喜式)の社に関しても、伊勢宮(番町)と御崎さん(北方・旭川河畔)にそれらしい記号が置かれているだけで、寺院については、記号が付けられていますが全部を網羅しているとは思われません。

  ここの作業の目的は、 1)M31年(M28年測量)当時の、主要な「道/用水」のありようの検証 と 2)往時の遺構から読み取れるゲージの推定 とにあります。  心底では、 3)メッシュの基準線/基準原点の推定 に迄至れば嬉しいが、それは困難でしょう。

  読みとりは、取り敢えず、「御野村」が主な対象になります。  今の対象地域を眺めると、南北ラインに関しては、これまでに「基準」に選んだ X=0 は道として存在しますが、屈曲が多いようです。  2km程度の長さに亘って、明確な直線を示している例の中では、X=2 に相当するラインが明瞭です。  つまり、北は半田山山麓に発して、ほぼ切れ目なく、揺らぎ少なく、往時の「下出石」=下石井二丁目辺り迄続いています(約3.5km=32坪分)。  今では、岡山大学(津島)、運動公園、岡山駅と関連施設、駅南の旧・工場群にカバーされて、清心女子大東辺あたりの500m、そのほか3箇所併せて400m程度の痕跡を残すのみです。
  このラインを含めて、600m程度を超えるものは、10本・12片が認められました。  それぞれのライン間隔の読み取り結果は、別項で示します。

  東西のラインについては、一応、Y=0に相当するラインが明瞭さにおいて筆頭です。  中世以降の大きな加工を推定させる、「山陽道」:Y=-12、能登川用水を含むライン:Y=-18、大供三股用水を含むライン:Y=-24は明快です。(いずれも「岡山」地図内)  北部では、座主川の東西流(Y=+7)は明確です。  また、Y=+10、Y=+6、Y=+3、は600~900m程度で、田園の中に記されています。  尾針神社から伊勢宮に至る、Y=-6 ラインは、市街地も含めて、それらしいものは読み取れません。  幾らか驚きです。

  定量議論ではありませんが、ここに書いておきたいことは、「メッシュは今の旭川以東に繋がるか?」という命題です。  竜ノ口山塊と操山山塊に挟まれた「上道地区」にメッシュがあることは、旧・岡山市域にあることより自明のものとされているかも知れません。  「上道」の地名は、恐らく、「津島」や「伊福」などより重い地名だからです。  だが、そこでのメッシュは、これまで述べてきたメッシュとは独立のものと考えられています(筆者は考えています)。
  それは置いて、「百間川放水路」より西南の地域に「津島」のメッシュが及んでいるかについては、未だはっきり出来ない部分があります。  が、M31地形図では、X=0 のラインの東方「竹田地区」の長さ700m程の用水が「存在を主張している」のです。

  では、また。
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