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究極の踏切 2

  12月の末に同題で書きました。

  今日はODMの帰りにその地下道へ立ち寄ってきました。  「その地下道」とは、西に高柳東町、東に島田本町(二)を見ながら南下したら操車場敷地に突き当たる所です。  先ず行って見て、その場には初めて行ったことが判りました。 地下道は、軽自動車さえも拒否する幅でした。  地下道の名称は判りません。
  さて、おおむねのことは、紙上予備調査の通りでしたが、幾つかの発見がありました。  北に辿るにしたがって、道幅も狭く、一部分は民地の駐車場に入って、迂回しなければなりませんでした。  ことの是非は措いて、これが「坪線」(今の場合は恐らく「里線」)であるとする判断を妨げるものではありません。  坪線/里線の吟味以前の問題として、重要な踏み分け道(幅1mあるかなしでも閉鎖できない存在)であることを確信しました。
  もう一つ重要なことは、北に向いて歩くときに、殆んど常時「京山山頂」が視界に入ったことです。  操車場の南に行ってこのラインの上に立って望遠する必要が出てきました。

  このラインのこととは別に、2~3の見落とし[再発見]にも気づきました。  JR吉備線の踏切(平面交差)で岡山駅に最も近いものとして、「下石井踏切」が存在しました。  JR吉備線は、岡山駅を出て、暫く平地を通り、正味で400m程度だけ高架走行します。  東から(岡山駅から)高架に登ってゆく手前にそれがあります。  これを南北に横切るのが X=-5 のラインで、踏切の南で少し斜行して地下道へ導かれます。  地下道の北からの入り口の標記から「桑八地下道」 の名称を持つことも判りました。  「桑八」 とは、桑&八 でも 桑 to 八 でもなく、「桑の八番」と理解され、永山卯三郎氏の 「坪名地図」 に指摘されている名称ですが、位置関係を再確認したところ、困ったことが起きています。  地下道の北からの入り口は、氏の地図では「桑九」の相当しています。(南口は「桑十四」になります)  永山氏の地図では、既に鉄道敷地になっているこの近辺の「桑」の名称を持つ「1里」の領域で坪番号が混乱して居る様子が認められますから、氏の誤認があるのかもしれません。
  「能登川用水」 が 「桑八地下道」 近辺で線路を横切る状況も再確認できました。  サイフォンではなく、通常の開渠の流路でした。
  更に話が拡散しますが、「桑田中学校」の敷地は、永山地図では「桑三十九」と「桑四十」に立地していることになります。

  「桑八地下道」の写真を掲げておきます。 (06/05/27 採録)
なお、この 「桑」名称の『里』は坪の番号付けが乱れており、かつ36を超えて番号が存在する故に、学会の中でも注目されている地域です。 (Cf.岡山県史・古代2)

            20060527174647.jpg

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なんかいろいろありましたが・・・・

やっぱママはすごいね。その一言を聞いて、なんか自分が恥ずかしくなっちゃったよ。

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