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究極の踏切 3

  京山山頂を望むラインを踏査してきました。  「輪行六十余里」の一項目です。

  2月9日に、高柳と島田の境界線にある「地下道」を調べているときに、ライン上で京山山頂を目撃してしまったのはある種のショックでした。  地下道自体も不思議なたたずまいでした。  で、その南を探ることにしました。  別の幾つかの検証・確認もしましたが、ここでは限定的に書きます。

  まず、大書したいことは、地下道の名称が判りました。  南からの入り口付近の桁に書かれていました。

  24tubo32.jpg
   

「二十四の坪地下道」と読めます。  永山卯三郎氏の「条里地図」に依ると、これは「島田・二十四ノ坪」に相当し、地下道が北から進むとき東に斜行するので、出口の位置を指し示していることになります。  南出口では、20~25m東にずれています。

  南側では、南北のラインは、皮肉なことに、X=-12 に相当するラインとその東50m程を走るラインの2本があり、「南出口」はその中央部に出て来るのです。  並走は、ほぼ1km程続きます。  加えて、1kmほど先の「野田」から「西古松」に入る辺りから南北ラインが乱れ始めます。  それ故、両方のライン上で、「京山山頂」は見え隠れするのです。
  おまけに、この地域はマンションの多いところです。  最初は、操車場内の新幹線高架に遮られて「京山」は見えませんでした。  漸く見え始めても、道が小さく斜行しただけで、マンションなどのビルに遮られ、交通信号気に邪魔され、難渋しました。  気がつけば、「50m東」のラインを移動していました。

  「西古松」より南まで、強引にラインを伸ばす積りはありません。  奈良時代の海岸線に近付いてゆくからです。  ただ、近世の干拓・開発が「条里ライン」を意識し、引き継いだとすれば、「相模川用水」をそのラインと比定することは不可能ではありません。  仮にそうすると、更に約1.5km伸びて、JR瀬戸大橋線に当たるところまで続きます。

  結論的には、X=-12 のライン上で、古代の人は、およそ3.5km先から京山山頂を望み得たということ、近世の人は、およそ5km先から山頂を意識したと言えます。

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